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天空の楽園 日本一の星空ツアー
ヘブンスそのはら
ゴンドラで標高1,400メートルの山頂まで登り、惑星や星座など解説付きで星空を眺めることができる『天空の楽園 日本一の星空ツアー』。メディアでもよく取り上げられていますが、9月、南信州 阿智村で開催されるこのツアーに参加してきました。
「10 ・ 9 ・ 8 ・ 7 ・ 6 ・ 5 ・ 4 ・ 3 ・ 2 ・ 1……0~!」
「うわ~~っ!!」
「おぉ~~っ!!」
「ワ~、キャーーっキレイー!」
暗闇の中、頭上に浮かび上がる満天の星々、あちこちで参加者のどよめきが立ち上る。
そんなロマンチックな光景を期待していたのですが、半月の月明かりとあいにくの空模様で、満天の星空とまではいきませんでした…。
残念ながらこればかりはどうしようもありません。
山間部のため天候も移ろいやすく、月の満ち欠けも大きく影響するのため、むしろきれいな星空が見える方が幸運なんです。
それにしても、駐車場は、群馬や岡崎、滋賀など他府県ナンバーがこの人口わずか6,800人ほどの小さな集落にズラリ。何でこんな交通の便も悪い、山奥の小さな集落に続々と人が集まるのか、商売人としてはむしろ、そちらに強い興味を抱きました。
『天空の楽園 日本一の星空ツアー』は、元々、阿智村にある昼神温泉という20軒ほどの小さな温泉街の集客のために3年ほど前から始まった取り組み。
1973年に出湯した歴史の浅いこの温泉郷は、中京圏にも近く、バブル期までは企業団体客が殺到、大いに賑わいましたが、全国的な温泉の乱立で5年間で宿泊客が25%減少、危機感を抱いて始めたのが、「星空」を観光の目玉にすることでした。
今でこそ、ツアー参加者だけで年間7万人、温泉旅館の予約も募集するとあっという間に埋まるほどの人気ですが、しかし、ここまでの道のりは紆余曲折あり、平坦ではなかったと言います。
最初にプロジェクトを発足させたときのメンバーは、わずか3名。
多くのスタッフを雇い入れる費用や広告・宣伝のための予算すらなく、2012年8月に行われた最初の参加者はわずか3名、その後も十数名ほどの参加者が続いたと言います。
しかし、最終的に人を動かすのもは、人の「想い」ですね。
この阿智村のプロジェクトは、規格から、交渉、運営に至るまで全て自分たちで行っています。自ら考え、自らの責任とリスクを負うからこそ、色々なアイデアも出るし、次は参加者をどう喜ばせようかと真剣になれる…。
たとえば、冒頭のカウントダウン、これは【星空のカウントダウン】と呼ばれるもので、参加者はゲレンデ(夏の間使われないスキー場が会場)に寝転がりスタンバイ。同伴者と手を繋ぎ、カウントダウンと共に全ての照明を一斉に落とし、星空が一斉に浮かび上がるというにくい演出です。
また、スタッフは、NASAの宇宙飛行士をイメージしたコスチュームを着用しており、お土産も「星ふる森のカリー」、「星に想いを」「星空のムコウ」など、星にちなんだ名前が付けられていて、村を挙げて「星空」で売り出すというコンセプトが徹底されています。
このような地道な取り組みが、参加者たちの感動を呼び、SNSやTwitter(現・X)などで拡散。
反対していた旅館や役場、商工会をもねじ伏せ、村全体を巻き込んだ一大プロジェクトへと発展していったのです。
ツアー終了後、眩い装飾に彩られたゴンドラ山頂駅へと続く長い列に並びながら、世の中には好循環と悪循環の2つしかないとつくづく思いました。
もし、誰かがこのような取り組みを始めなかったら…。
もし、誰かが途中で挫折し、断念していたら…。
今頃、ここは漆黒の闇に覆われ、人っ子一人いない閑散期のゲレンデのままだったのですから。
たった3人で始めた取り組みが、雇用を生み、産業を育て、「行ってみたい」の先の「住んでみたい」を見据えた取り組みへと動き出している。
悪循環を断ち、好循環へと変える力は、結局は、人の「想い」以外の何ものでもないことを痛感し、阿智村を後にしました。
今後来るときは、満天の星空を見たい、そんな強い思いを抱いて…。
天空の楽園 日本一の星空ツアー | スタービレッジ阿智 (sva.jp)
(今回のお話は2016年『眠りの楽屋裏通信』vol.53に掲載したものです)