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40年前の『老祥記』の豚饅体験

「人間は12歳までに食べてきたものを一生食べ続ける」

豚饅といえば『551の蓬莱』を思い浮かべる人が多いかも知れませんが、僕にとっての豚饅は、神戸の『老祥記』のもの。『老祥記』は、今や誰もが知る超人気店ですが、僕の『老祥記』歴はかなり長く、40年来食べ親しんできた味…。今回は、そのルーツをたどってみようと思います。宜しければお付き合い下さい。

40年以上前、祖母に連れられ、兄と僕は、大阪から神戸へと連れて来られました。

今から思えば、祖母には、『老祥記』で豚饅を買い、小学生3、4年生くらいの兄と僕を、ポートタワーに連れて行くという明確な目的があったのだと思います。

ビルや高架橋の隙間からのぞくどんよりとした灰色の空、濡れたアスファルトの路面…。初めて訪れる神戸は、霧雨が舞い、少し肌寒く、どこか閑散としたところだったという記憶が残っています(そのときたまたまそうだっただけかも知れませんが…)。

 「ここよ、ここ。中国人がつくってるから、ここの豚饅は美味いんよ!」

店の前まで来ると、祖母は得意満面でした。

ネットで探した古い写真を参考にすると、当時の『老祥記』はちょうどこんな感じでした。

戦中、満州に移住していた祖母には、どこか中国人に対する畏敬の念のようなものがあったようで、「ここの豚饅が本物で他所のもんはニセモノ」というようなことをよく口にしていたのを覚えています。

当時の『老祥記』の店は、バラックに毛の生えたような建物で、薄暗く狭い店内には、粗末な木製テーブルと平均台のような椅子が配置されており、蒸篭で蒸し上がった大量の豚饅を、顔色一つ変えず素手で、竹皮の包みに黙々と詰め込んでいく華僑たちの様子は、どこか【労役】(もっとも、こんな言葉を知ってるはずもありませんが…)を課せられているかのような感じがして、子供心に、見てはいけないものを見てしまったような恐ろしい光景に映ったものでした。

祖母は、豚饅を両手一杯に持ちきれないほど買い、ポートタワーまで来ると、おもむろにタワーの階段の踊り場で、紙包みの中から先ほど買ったばかりの豚饅を取り出し、兄と僕に差し出しました。

今から思えば神戸タワーってこんな古くからあったんですね。

 「ほれ、食ってみ!」

祖母から差し出された象牙色をしたその小さな物体からは、食欲中枢を刺激する香ばしい匂いが漂っており(竹皮の匂いと豚饅の匂いがブレンドされていて、この香りがたまらないんですよね…)、僕と兄は、たまらず喰らいつきました。

(な…なんや、これ、めっちゃ美味いやん…)

肉汁がよく染み込み、醤油も付けていないのに生地まで美味しい。人間は、本当に美味しいものを食べているとき、目の前の食べ物と自分しか見えなくなり、動物のようになるんや…と、このとき思いました。

 「どうだ、美味いやろ? もう一ケ食うか?」

 結局、その場で兄と2人で7~8個くらいは平らげたでしょうか…。

これが僕の初めての『老祥記』の豚饅体験。後を引き、中毒になるあの味は、まさにこのときに刷り込まれたのでした。

あれから40年以上の歳月が流れ、祖母は他界し、目まぐるしく世の中は変わりました。

でも、あのとき食べた『老祥記』の豚饅の味だけは、まったく変わらず、しっかりと記憶に刻み込まれており、今だに時々、無性に食べたくなることがあります。

 「人間は12歳までに食べてきたものを一生食べ続ける」

 日本マクドナルドの創業者、かの藤田田氏は生前、そう言い放ちましたが、『老祥記』の豚饅は、僕にとってその言葉をまさに地で行くもの…。

きっと、この先も一生、食べ続けることになるに違いありません。

 世の中がどんなに変わろうとも……

(今回のお話は2017年に当店ニュースレター『眠りの楽屋裏通信』vol.55で紹介したお話を投稿しました)

祖母が生前こよなく愛した老祥記の豚饅頭